「今は大企業でも一生安泰ではない」と思っていても、やっぱり大企業勤務と聞くといいなぁと思うことありませんか?
今回は矢沢永吉のCM「やっちゃえ日産」でおなじみ日産を辞めた方についてのインタビューとなります。
技術の日産
トヨタ自動車に次ぐ国内第2位の日産自動車。
私の若き頃のCMは「技術の日産」のキャッチコピーでした。GT-R、フェアレディZに憧れ、いつかは手に入れたいと思ったものでした。
しかし憧れは強いものの買える価格ではなかったので、中古の180sxを手に入れ非常に楽しいドライブライフを送ったものです。
日産は走りにこだわる人が好むメーカーだったと思います。今で言うとBMWのイメージでしょうか。
日産は破綻しかけた
1998年に2兆円もの有利子負債を抱えて経営危機に陥り、翌年フランスの自動車メーカールノーから
カルロスゴーンを送り込み、無事立て直して今の日産があります。
日産を辞めた方にインタビュー
前置きが長くなってしまいましたが、本題の日産自動車を辞めた方にインタビューしてみました。
インタビューと言うと仰々しいですが、たまたま乗ったタクシーの運転手さんと会話をしていたところ
元日産で働いていたとの事なので、興味があり色々聞いてみました。
私「私の前職の話ですが、日産向けに車のパーツを開発する会社でした。
日産車も好きだったので一度日産で働きたいと思ったくらいですよ。」
運転手さん「私も車好きだったので日産に就職したのですが、車が好きだから車のメーカーに入ると幸せになるって訳ではない事がわかりましたよ。」
私「そうなんですか、具体的にはなぜ幸せになれなかったんですかねぇ?」
辞めた理由とは
運転手さん「私は、車のデザインをしたかったのですが、配属がエンジン制御になってしまったんですよ。
最初は嫌で嫌で仕方がなかったのですが、何年か経てば好きになるかもと思い我慢したのですが、
10年たっても気持ちは変わらず結局嫌になって辞めちゃいましたね。」
私「とは言っても、ご家族とかには止められませんでしたか?」
運転手さん「周りは全員大反対。強く引き止められましたよ。引き止められたどころか怒られましたよ。」
辞めた後、なぜタクシー運転手?
私「でも辞めた後に、デザイナーの仕事に転職せず、なぜタクシー運転手になったんですか?」
運転手さん「おっしゃる通り、デザイナーに転職したいと思いました。ただ、じっくり自分を見つめ直したのですよ。
自分はデザインが好きというよりは、車の運転が好きで、いつか自分のデザインした車に乗ってみたい
というのが私の夢でした。それだったらデザインより大好きな車の運転ができる仕事といえばタクシー運転手だったんですよ。」
今は幸せなのか?
私「転職して良かったですか?」
運転手さん「ええ、良かったですよ。長く続いていますし、今となっては個人タクシーまで出来るようになりましたので、
収入にも不満はないです。もちろん日産時代と比べたら減りますけど。
あと、日産はある程度年数が経つと子会社などに出向となるんですよ。出向と言っても本社に戻ってこれず
結局転籍してしまうのがほとんどです。なので将来が見え辛いんですよね。同じ将来が見えないのなら自分の好きな仕事をやるのがいいと思ったのです。結論としては転職して良かったと思いますよ。本当に幸せです。」
まとめ
人生は大企業に入ったから大成功と言う単純な方程式が成り立たなくなってきたと思います。
今一瞬の高収入とステータスを選ぶか、収入や肩書きを捨て本人の幸福を選ぶかは自分自身だと思います。
今回確実に言えることは、日産を辞めた方は、今の仕事に心から満足していると思います。
コメント
コメント一覧 (2件)
日産が売れなくなったのは30年前先から解っていました 縦社会体質です クレイモデル車は3タイプを製作して社長審査で決定しますが60歳過ぎの親方がスポーツ車を審判していました 没にされて世に出なかった素晴らしいデザイン車が沢山あります 本田のように若い人にチャンスを与えず高齢者役員本位経営ですから ^^^先も同じでしょう 元開発関係者の一人より
サーフィンライン様
コメントありがとうございました。
日産好きの私としては、開発関連の方からコメントいただくなんてとても感激しております。
日本の中で技術のある、走りにこだわる日産でもそのような審査だったとは驚きです。
おっしゃる通り確かにホンダは若い人にチャンスを与える会社だと思いました。
S660は若い方が中心となり開発を進めたようですが、与えられたチャンスにしっかりと答え大成功した車だと思います。
私は若い頃から日産車に乗っており、今も日産車に乗っているファンです。
今年シルビア復活の記事も雑誌でちらほら見かけますが、是非とも実現し、ワクワクするような車を世に出して頂きたいと思っています。